大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和31年(行)81号 判決 1957年12月20日

原告 木本真一

被告 東京都公安委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は被告が昭和三十一年五月八日付で原告に対してなした同年同月三十一日から八十日間自動車の運転免許を停止する旨の処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、

一、原告はかねてから普通貨物自動車運転免許を受けていたところ被告は昭和三十一年五月八日付で原告に対し同年同月三十一日から八十日間右運転免許を停止するとの処分をなし、同年同月三十日原告に通告した。

二、しかしながら原告には右のような処分を受ける理由はないから被告の処分は違法である。よつて処分の取消を求めるため本訴に及んだ。

と述べ、被告の主張に対し、

第一項は原告が現場に差掛つた時刻の点を除きすべて認める。右時刻は同日午前九時三十分頃である。

第二項は争う。本件事故は長島英三郎の前側に乗つていた幸治が当時眠つていたため自動車通過に驚いて目を覚まし自動車の走つている側面の方向に倒れたため起つたものである。したがつて右事故は原告の過失に基くものではなく長島英三郎が幸治を自転車に乗せたま降車せず、また幸治が眠つていたにもかかわらず特別の措置をとらなかつなために起きたものであつて、かかる特別の事情を原告に予測せしめることは全く不可能であるから、かかる事情によつて発生した事故の責任を原告に負わせることは不当である。

と述べ、

被告訴訟代理人は本案前の答弁として原告の訴を却下するとの判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

原告は被告が昭和三十一年五月八日付で原告に対しなした同年五月三十一日から八十日間原告の運転免許を停止する旨の処分の取消を求めているのであるが、およそ一定の期間業務を停止する処分に対する取消請求はその処分が現に継続している場合、すなわちその処分の取消により処分のため失われた権利を回復しうる間に限り許されるものであつて右停止期間の経過後においてはその取消を求める法律上の利益は存しないのである。本訴は右業務停止期間の最終日である昭和三十一年八月十八日を経過した後に提起されたものであるから訴の利益はない。

本案につき主文第一項同旨の判決を求め、答弁として、請求原因は認めるが、第二項は争うとべ、被告の主張として次のとおり述べた。

一、原告は昭和三十年八月三日午前九時十五分頃札幌市北三条五丁目五番地所在訴外岩佐通産株式会社所有の貨物自動車を運転し、北海道渡島国山越郡八雲町大字山崎から同町大字八雲町にたる国道を大字山崎がら大字八雲に向け時速四十粁の速力で疾走中同所山崎橋付近に差掛つたところ国道前方右側(原告から見て)道路端に同郡同町中央通り訴外長島英三郎が自転車の前側に同人の次男幸治(当時五才)を乗せたまま停車し、更らにその後方に同人の長男英治が同じく自転車に乗り停車しているのを認めたが前記速力のまま進行し右訴外人等の側面を通過した際、右幸治が自転車から転落し、頭部強打による脳震盪のた死亡するに至つた。

二、ところで、数学的にいえば必ずしも衝突ないし接触する程近接していなくとも自動車通過の際の風圧ないしは通行人の狼狽等のため或いは接触をひき起し或いは転倒しそのために人の死傷をきたすことがあるということは経験則上明らかであるから、原告としては自転車または通行人と衝突ないし接触しないように或いは風圧を与えることのないように、またこれがため通行人が狼狽すること等がないよう十分な間隔を保ち、減速して進行する等適切な措置をとるべきにかかわらず、漫然右訴外人等に極めて近接して前示速力で進行したため自動車右側後部を右幸治に接触させたか、或いは風圧のため同人を自転車から転落させ、因つて頭部強打による脳震盪のため死にいたらしめたのであつて右事故は原告の過失によつて生じたものである。

三、したがつて右事実に基き原告の運転免許を停止した被告の処労は何ら違法はない。よつて原告の本訴請求は失当である。

なお本件は準備手続を経た事件であるが、原告の昭和三十二年九月二十日付準備書面記載の事項は準備手続調書または右調書に代わる準備書面に記載されていないから本件口頭弁論において主張できない。よつて右準備書面の陳述には異議がある。

立証<省略>

尤も、本件は準備手続を経た事件であるところ甲号各証の提出は準備手続調書またはこれに代るべき準備書面に記載されていないからその提出には異議があると述べた。

理由

被告は本件訴は訴の利益を欠くから却下さるべきであると主張しているので先ず本訴の適否について判断する。

本件訴は被告が昭和三十一年五月八日付で、原告に対してなした同年五月三十一日から八十日間原告の自動車運転免許を停止する旨の処分の取消を求めるものであつて、且つ本訴は右停止期間経過後に当裁判所に提起されたものであることは記録上明らかなところである。およそ自動車運転免許停止処分がその免許停止期間中被処分者をして自動車の運転を禁ずる効果を有することはいうまでもないところであるが、右処分はその性質上被処分者に対する制裁処分にほかならないのであるから右効果と同時に被処分者の名誉信用等の人格的利益を侵害する効果をも有するものといわなければならない。

しかも右のような処分を受けた場合にはその旨が免許証に記載される(道路交通取締法施行令第六十三条第一項)ことを考えると右のような人格的利益の侵害状態は単に免許停止期間内に止らず右期間経過後もなお残存するというべきである。(かような侵害状態が残存するから将来の違反の場合の制裁処分の内容にひゞき或いは就職に差支える等の不利益をまねくと考えられるのである。)そして右のような人格的利益も法律上保護さるべき利益であることはいうまでもないことであるから、違法な運転免許停止処分を受けた場合にはたとえ免許停止期間を経過してすでに停止期間中運転可能の状態を再現することが不可能となつたため右状態の回復を求める利益を失つたとしても、少くとも前記のような人格的利益の違法な侵害状態を排除するために右処分の取消を求める利益を有するものと考えなければならない。よつて本件訴は運転免許停止期間経過後当裁判所に提起されたものであるけれども訴の利益がある。

よつて本案について判断すべきであるが、被告は原告提出の昭和三十二年九月二十日付準備書面記載事項の主張及び甲号各証の提出に異議を述べているので先づこの点について判断するに右準備書面記載の事項は被告の主張事実中本件事故が原告の過失に基くものであるとの主張を争う趣旨であり、原告がすでに訴状において主張していた事実を明確にするものに過ぎず新な事実を主張するものとはいえない。また甲号各証は公務員の認証ある謄本であつて、その成立につき直に答弁をなしうるものでありその取調により訴訟を著しく遅滞させるものとはいえない。従つて、被告の右異議は何れもその理由がない。

そこで本案について判断する。

請求原因第一項は当事者間に争がないので本件処分が違法かどうかの点について判断するに、被告の主張事実中第一項は原告の運転する貨物自動車が現場に差掛つた時刻の点を除いて当事者間に争がなく、成立につき争のない乙第七及び第八号証によれば、右時刻は昭和三十年八月三日午前九時十五分頃であつたことを認めることができ、右認定を動かすに足る証拠はない。

そこで更に長島幸治が如何なる原因で転落死亡するにいたつたかについて検討すると、成立につき争のない甲第一号証の四、乙第四号証の一及び二、同第五、第七、第八号証並びに同第十号証証の一及び二を綜合すると、訴外長島英三郎は、北海道山越郡八雲町字山崎通称国道山崎通路幅員四米二〇の路面上を自転車に乗り、ハンドルとサドルの間に次男幸治(当時三年八月)を同乗せしめ北方山崎方面に向つて進行中、前方約百米のところを原告の運転する貨物自動車が進行してくるのを発見したので、幸治を乗せたそのままの姿で自転車を道路の左側(英三郎からみて)から約〇・七米の所に寄せ停車し両足を地面について退避していたところ、原告の運転する貨物自動車が道路の中央を英三郎等の乗車している自転車から僅か約〇・六六米の近距離を時速四十粁以上の速力で通過したために、その影響により偶々仮眠中だつた幸治は驚き狼狽して安定を失い自転車から落ちかかり、その重みと動揺で自転車が自動車側に倒れかかり、前記英三郎が体勢を立直す間もなくそのまゝ幸治と共に転倒しその際幸治は自動車の後部に頭部を接触したため脳震盪を起し同日午後零時十分頃死亡するにいたつたことを認めることができ甲第一号証の二、乙第六及び第九号証の各記載のうち右認定に反する部分は採用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。而して成立に争がない乙第六及び第九号証によれば、原告は、右事故前百米位手前で英三郎等が道路の右端に自転車を停めて退避しているのを発見しながら大丈夫であると思い何らの措置もとらないでそのまま進行を続け右事故現場にいたつたことが明かである。

およそ自動車の運転をなす者は、前方に通行人を認めた場合には自動車が通行人に接触衝突したり或いは自動車通過の際風圧又は震動その他により通行人が眩惑され又は狼狽する等何等かの影響を受け、その結果自動車に接触しまたは転倒するようなことがないよう十分な間隔を保ち、又は減速して運行する等事故の発生を未然に防止する措置をとる業務上の注意義務があることは明らかであるところ、前記認定の事実によれば、本件事故は、原告においてその前方百米位のところに前記訴外人等が道路端に退避しているのを発見しながら、軽卒にも同人等に何等危険なしと判断し、幅員僅か四米二〇の道路中央部を特別の措置をとることなく時速四十粁以上の速力をもつて英三郎等の乗つた自転車に極めて接近した距離でその側面を通過したため生じたというのであるから、右事故は原告の前記注意義務に反した過失に基くものといわなければならない。

原告は右事故は原告が予見不可能な特別事情により生じたものであるから右事故の責任を原告に帰することはできないと主張しているけれども、幸治が仮眠中であつたというような事情は本件事故の発生をより容易にしたとしても、かような場合幸治が眠つていると否とにかかわらずその側面を接近して相当の速力で通過すればその風圧又は震動により幼少な幸治がこれに眩惑されて驚きあわててその安定を失うおそれが十分あり、そのため自転車から転落し或いは転倒することもあることは経験上容易に予想しうるところである。しかも前記認定事実によれば英三郎は原告の運転する自動車が近接する約百米前からすでにこれを認めて退避の措置をとつており、原告もまた現場から百米手前においてこれを発見していたのであるから、もし原告が前記のような注意義務をつくしていたとすれば容易に本件事故の発生を防止できたものと考えられるのである。本件事故の発生は到底これを原告の予見不可能な事情に基くものということはできない。したがつて原告の主張は理由がない。

してみると右事実に基く被告の本件処分は適法であるといわなければならない。

よつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松尾巖 地京武人 越山安久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例